最近、自分に直接的な影響がそれほどないことで度々怒っており、これって相手の言動の問題ではなく、自分の心の問題じゃないか?と思い始めました。
生きていれば様々なことが起こるけど、自分の感情を暴れ馬のような状態から、手綱をつけた馬のようにコントロールしたいと考えています。
経緯
腹を立てていたのは、職場の先輩の掃除サボりです。
しょーもないですね。
私の職場では週1回掃除をしています。
職場の先輩の一人がその掃除を毎回やらないことにイラっとしてしまいます。
ただ、先輩が掃除をやらなくても、人手自体は足りているので問題はありません。
先輩が掃除をしないことで自分の掃除箇所が増えて業務が圧迫される状況だったらまだしも、全く問題ないのに怒る理由がありません。
怒っているけど本来怒る理由がない…
心の中で何か感情がねじれて掃除サボりに怒るという結果になっているようです。
怒るために正当な理由を求める
掃除をしないことそのものについて怒っているのではなく、相手に怒るための正当な理由が欲しかったのだと思います。
以前、先輩自身の業務上のストレスから、八つ当たりされているように感じていた時期がありました。
おそらく、内心その件についていまだに怒っているけれど、それについて怒るには時間が経ちすぎています。
そのため、一般的に悪いとされる、正当に怒れる理由を見つけてイライラすることを自分に許していたのかもしれません。
怒ってはいけないという思い込み
ここで思うのは、自分の中に怒ってはいけないというブロックがあるのではないかということです。
正当な理由がないと、心の中であっても怒ってはいけない、と思っています。
怒ること、人を恨むこと=悪という方程式が自分の中にあります。
でも、怒らずにため込むことで逆に自分の中で熟成されて怒りが増幅している気がします。
あった出来事を思い出してあの時ああ言えばよかったこう言えばよかった、いやでもそんなことを言っていたらこんな不利益な展開になっただろう...と反芻し、その時のいやな気持ちを何度も味わっています。
その場で一度怒ってしまえばすっきりするのかもしれませんが、言わずにぐるぐるすることで、自分の心の中で事態がどんどん大きくなっています。
なぜ言い返せないのか
なぜその場で怒らないかというと後で損すると考えているからです。
言われたことに対して自分が不利にならないようにパッと切り返すのは難しいです。
適切なことを言い返せずに、言い負かされたり、言い負かされそうなのを無理に挽回しようとして感情的になったりする気がします。
すぐ言い負かされるのは、心のどこかで自分が悪いんじゃないかと思っているからです。
自分は悪い、非がある人間だと根本的に思ってしまっているから、何か言われたときに、私も悪いのかもしれない、と思って負けてしまう。
言い返したりしたら、後で、自分にも非があるのに言い返していた、と噂を立てられて不利になるかもしれないと思ってしまいます。
周囲の正しい善人に、私が悪い、とジャッジされることを恐れています。
これは以前書いた価値観4タイプの概念で言うと罪人ゾーンの考え方です。
周囲は善人だが、自分は悪い人間だ、という考えが根本にあり、その考えが様々なところで悪さしています。
<価値観4タイプ>
価値観は自分が善か悪か、他人は善か悪かの2つの軸で4つのゾーンに分けられます。
赤ちゃんゾーン:自分は善、他人も善
→他人を信頼しており、自分に対しても嫌悪感がない状態。
裁判官ゾーン:自分は善、他人は悪
→他人の至らなさが目につき、全てを正すために自他共に厳しく扱う状態。
罪人ゾーン:自分は悪、他人は善
→他人と比べて自分の弱さや卑怯さが目につき、自己嫌悪に陥った状態。
聖母ゾーン:自分は悪、他人も悪
→自分含む人間の汚さを受け入れ、諦めた状態。
まとめ
自分が何かに対して怒っている時、本当はその何かに対して怒っているのではなく、怒る理由が欲しいだけじゃないか、というのは重要な気づきでした。
そして、適切に怒れば良いのに毎回その場では怒りを引っ込めてイライラしているのは、自分が悪いんじゃないかという自分への信頼の無さからだということも今までは分かるような分からないような薄ぼんやりとした感じでした。
自分の考えを言語化したら少し頭が晴れました。
言語化できるものしか思考で取り扱えないと考えています。
関係ないことで怒ってしまった経験や、記事を読んだ感想などあればコメントくださると嬉しいです。
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