先日、人と話していて、「子供は親に褒められるために勉強する」という言葉を聞いた瞬間に涙が出てきました。
自分が泣いていることに困惑…。
どういう感情が背景にあるのか考えてみました。
経緯
知人と、将来子供ができた時に、子供が勉強するにはどうしたらいいのか話し合っていました。
実際には結婚もしていないのでだいぶ気が早いですが、先の心配事について対策を考えたくなる性分なので…。
勉強ができるようになって楽しかったり、将来役に立つことに気づいたりするのは勉強を始めてしばらく経ってからじゃないかという話になりました。
最初はまず、親に褒められたい気持ちから始まるというのが知人の意見です。
その話を聞いていると自然に涙が出てきました。
子供の世界は親中心
親の気を引くために一生懸命頑張る子供を想像すると胸が痛いです。
子供は親からの関心や承認、愛情が欲しいんですね。
自分が考えていた以上に子供の世界は親を中心に回っているのかもしれません。
そして、私自身も親に褒められたい、認められたいから一生懸命勉強していたのか?と思いました。
自分は勉強が楽しいし、将来のためになるから勉強していたのだとずっと思っていました。
でも、もしかしたら親に認められたい、注目されたいという気持ちもあったのかもしれません。
私の親は親なりに子供を平等に見ようとしていたし、栄養のある食べ物を食べさせたり、子供に愛情を与えようとしていた方です。
それでも、子供だった自分にとって、弟が生まれてから十分な注目が与えられていなかったのかもしれません。
自分にもっと注目してほしいから熱心に勉強していたのかな…
自分の気持ちを深ぼってみて、私は今でも誰かに自分のことを見ていて欲しいと思っていることに気づきました。
親に対してではなく、むしろ今自分の身の回りにいる人に対して自分に注目してほしいと感じています。
誰も自分に注目していない時、ふと自分が透明人間になったように感じる時があります。
自分はここにいてもいなくてもこの場の状況は何も変わらないし、いてもいなくてもいいのかな?と感じます。
将来の子供との向き合い方
子供が将来私のように思わないように、十分に注目されていると感じさせるにはどうしたらいいのか、考えています。
母は専業主婦で性格的にも面倒見のいい人でした。
その母の元で育った自分がこの状況なら、どうしたら子供に十分に見守っていると感じさせてあげられるのか難しいです。
漠然と子供二人ほしいと思っていたけど、共働きで子供に時間を割けないことを考えると一人の子供をしっかりと見ていてあげる方がいいのかなとも考え出しました。
今までは子供が一人だと一人の子供に意識が集中して過保護になってしまう、子供は勝手に育つ、と思っていた節があります。
けれども、自分のエゴを押し付けないようにしながら、子供に十分に注目して承認することが必要だと気づきました。
まとめ
まだ子供もいなければ結婚もしていないので、こんなことを考えるのは早いと思われるかもしれませんが、どんな家庭にしたいか、ついつい考えてしまいます。
自分が死ぬ時に考えるのって、結局自分の子供がこれからも幸せかどうかじゃないか?とも思います。
今後もより良い家庭のあり方について悩みながら考えていきたいです。
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